2013年11月07日

判断を、手放すには。

ほいー、峰子です^^

今日はちょっとしたメモ書きです。


食品の偽表示が話題になっていますね。
それを「なに、みんなに嘘ついてたの?不誠実な!」と憤ることも一つの反応だと思います。
(例えば、マダガスカル産のスーパーセブン、みたいな感じでしょうか^^;
 事実として、そんなのは存在しなかったりするのでね。売っておられる方がそれを知っているか否か別として)
でも、視点をちょっと変えてみると、
“そのようなことは、いつだって世の中にあふれている”ことだったりもします。
たとえば、広告業界の人と話をしたりすると、
「そんなこと言ってると仕事できないけどね、、、」という人だっています。
「これを飲むと痩せる!」とはいえないけど、
「脂肪を燃焼する!」は言える・・・のようなものの、ある意味延長線上にあることじゃないか、と。
そうしないと買ってハッピーな気分にならないでしょ?と。
(言いたいことわかんなかったらごめんなさいね^^;
 それぞれの考え方を判断したいのではなく、それとは対極の話をしています。
 そのジャッジ的なものを手放す、ものの見方についての考察メモです。
 ちょっと自分なりにも書きながら整理しているところもあります)
・・・ようは、
別に今、急に始まった話でもない、ってことです。
世の中は嘘やいつわりで今も昔もあふれているし、
自分が正しいと思っていることのなかにそうじゃないことが潜んでいることなんか日常茶飯事です。
永遠の常識、って、ないですよね?
私たちは事実として、そういう「とってもとってもあやふやな」中で生きている、ってだけです。



こういうニュースが、今、たくさん出てきている、
その「現象」を感じてみるんです。
ニュースを額面通りに受け取るのではなく、
地球で、日本で、今、何故自分はその「現象」を目撃しているのか?と。
いい話だ、悪い話だ、ではなく、
私には関係ない、関係ある、ではなく、
その話好きだ、嫌いだ、でもなく、
悲しいな、腹立つわー、でもなく、
自分がこんなだからこの話に立ち止まったんだわ、でもなく。
関係なかろうと関係あろうと現象としてそれは起きていて、
興味あろうとなかろうと現象としてそれを耳にしています。



現象として見つめてみる。それで、終了、です。
すると、自分の内側から、もやもやっと、
「あーこういうところ大事にしようかなー」
「もしかしたら、こういうことなのかなー」
といったことが、浮かび上がることもあります。
(大丈夫。今のわたしたちのテレパシーのレベルったら、もはや、とんでもないことになってますから。安心して、自分の内側に意識をもっていくようにして、見つめてみるのです。)
まあ、それすら、たいして重要な事でもないのかもしれません。
個人的に自分の問題のように受け取るのとは全く異なります。
こんなの聞いたことない、こんな人会ったことない、ってかんじで、現象を見る?まっさらな感じ、、、、


自己中心的に感じるかもしれませんが、
判断を手放す(ジャッジしない)、って、
こういうようなことから始まっていったりしますよ。


で、「ふーん」って、思ったら、
忘れちゃってぜんぜんオッケー!


世間のニュースにかかわらず、
自分の外に起きているありとあらゆることに対しても、
これ、あてはまります。
判断を手放すことは、マインドを使わない、ということではありません。
マインドを開け放つ、ことなのです。


なんちって。
愛をこめて^^
にゃはは^^

















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