2007年03月20日
週末はセラフィムと“アセンション”!? 合宿報告・・・中休みでごめんちゃい。
どうも。巫音子@またもや新幹線にて更新準備、です。
私だってミラクル普通人(´▽`)ですよー由巫子ちゃん(違うかな・・?)
ちなみにオーラは、
私も見えたり見えなかったりです。
人のより、植物とか石のほうがわかりやすいです。
芽吹きのときの木々は、
はんなりとピンクのオーラなのが可愛いよ
チャクラの場所と状態も、
今お話し中の変容の最中に、初めて、具体的に知覚しました。
>こんなに不思議な事がドドッと押し寄せてきているのに
>巫音子さんの日記には「恐い」という気持ちが微塵も
>感じられませんね。
>皆に「恐れ」や「諦め」をとっぱらえ、と言ってるの実践
>してるのか。
うーん、「恐れ」や「諦め」は、
今は、もう、確かにあんまり無い、です(´-`)。
ちっちゃいときから、霊体験は結構あったので、
「諦め」に関してはだから、
「(私が変じゃなくて)みんなも見えてるだろう。」
って思ってたから、
最初から感覚として無いのですね。
(うち母親も霊感強いから、
一緒に霊とか見てたんでなおさら当然だと思ってました)
「恐れ」に関しても、そのときに
「ネガティブな霊的存在への対処方法」ってのを
学んだというか、
知らないうちに身についたというか、
そういうバックグラウンドがあるから、
無いのかもしれません。
見えない存在はね・・・もちろん、最初は怖かったよーーー!!( TДT)
だって
毎晩1時になったら子ども部屋のドアを誰かがノックしに来たり、
ポルターガイストっての? 天井の上をよく知らない誰かが走り回ってたし(笑)
部屋に張ってるポスターの裾が風も無いのに揺れたり、
いちばんショックだったのは、
小6だったかな?きつい金縛りにあって、
上体にのしかかられたり首絞められてるのを
リアルに感じて、めちゃめちゃ怖くて、
何とか脱出できたものの、
朝起きたら鎖骨の下に
指のあとが左右4本ずつあざになって残ってた、
ってのとかね・・・。ぞっとするでしょ?(;´Д`)
(今はもうそんなのに会わない、って
決めてるから平気だけどね)
思春期の頃は、オーラも魂も不安定になりがちで、
そのズレからいろいろなものを引き寄せる、
ということを、
大人になって何かの本で読んで、納得したけれど、
そういう怖い体験をしているうちに、
「ネガティブな霊的存在は、
自分が光り輝いている限りは
向こうから近寄ることはできない」
「私は霊能者ではないので、
さまよっている霊を見かけても、
“あなたと私は関係ないからお手伝いできない”と
ハッキリ言えば、それ以上何も起こることは無い。」
この2点が自分のなかで確立されてきまして^^;
そのうち、
光り輝くポジティブな霊的存在にしか私はコネクトしない、
と決めちゃったんですねー。
願い事も目標設定だってそうだけど、
決めると、そのとおりになるもんですよ。
のんきなだけかもしれないけど(;´Д`)
私はいつもそう思ってます。
そして、
この気持ちを支えているのは、
「自分は自分の直感を信じている。」
という強い信念なんですが、
ここにいたるまでは、
もちろん幾度もの出来事やきっかけの積み重ねがあったわけで、
振り返るに「スピリチュアル・ジャーニー」って感じだったのかもなぁ、っちゅう経緯が、あるのです。
この涅槃ブログではそこらへんも、
おいおいひも解かれていくだろうなー、と、
思ってます。(お楽しみに!?)
あとはね、
ちっちゃいときの日課として、
誰に教えてもらったわけでもないんだけど
夜、おふとんにはいったら
「しゅごしんさま」と呼んでいる存在に
いろいろお祈りしたり、
その日一日楽しかったことを感謝したり、
自分について反省したりってのを
心で唱えてから寝る子でした。
今思うとちょっとあやしいよねー(^^;(笑)
(そんなのしばらく忘れてて、
数年前に思い出してから今、
復活させてるんですけどね^^)
私にとって、今出会っている天使たちというのは、
どういう種類の高次元の存在なのか、
単純に妄想かもしれないってもちろん思う瞬間もあるし、
自分でも完全に理解しているとは思えないですが、
結局は「しゅごしんさま」の延長上の方々なんだろうなー、と、
今のところはそう考えてます。
ミカエルに「無意味だ。」って言われたのは、
自分が、
ちっちゃいときには「しゅごしんさま」の姿かたちなんか
これっぽっちも気にしたことなんてなかったので、
なんかね、言外に
「そのときの気持ちを思い出せ!」
って言われたような感じで、
言われた私はちょっとくすぐったくなって
アハハハーって笑っちゃってたのですね。
やっぱりそこを突っ込んできましたかぁーー、みたいな(笑)
どうしても常々、物質的なことに振り回されるし、
見た目だけで判断してその奥まで到達しないこと、
多々あるじゃないですか・・・・。
そん時には一歩立ち止まって、
心の目をしっかり使えよー、
って言われた気がしたのですね。
だから、由巫子ちゃんの言うことにもうなずけるし、
私自身も、
何かを制作するとき、
「クリエイション、またはデザインするということは、
個々の想いや祈りor胸に抱く光を地上において具現化することである。」
と思っているので、
ミカエルも、
そこんとこには特に意義はないんじゃなかろうか。
なーんて、
思っております(*^o^*)
・・・・いやーーーーん!(><)!。
ちょっと今日、
マジメトークぢゃない??巫音子ったら(←別にソコで勝負するブログじゃないですが・笑)
なんかですね、
セラフィムのこと、
今日は書くなといわれているようで、
私自身はじらしプレイをしてるつもりじゃないのですが、
も少し待ってくださいね。(;´Д`)
セラフィム的には、
春分の日に話題になるのがいいみたいなのよさ(笑)
天使も人間に負けじとわがままちゃんでございます^^;
・・・で、
おまけ、というわけではないですが、
「情報シャットダウン」のときに、
私を救ってくれた2枚のCDがあるので、
それを最後にオススメしておきます。
その週末は、情報を取り込もうとすると、
カラダがほんとにきつくなってきちゃう状態だったわけですが、
でもですね、
脳みそが活発に動いてるのが基本的に好きな性分としては、
何も考えない、ということは(ある種の瞑想ですね)
ぶっちゃけ苦行、でした・・・。
そのときにたまたまステレオのそばに置きっぱなしにしてあった、
ドリーン・バーチュー「チャクラ・クリアリング」と、
MISIA「アセンション」この2枚だけが、
聴いても「情報オーバーフロー」にならず、むしろ、
聴いているあいだはお水を飲めたり、
PCでちょこっとメール書けたり、出来たのですね。。。。
「チャクラ・クリアリング」のほうは、
天使業界(そんなのあるのか?(笑))ではめちゃめちゃ有名な
ドリーン女史のものなので、
そりゃあまあ、当然かな?と思うのですが、
これを聴くと、まさに「チャクラのお掃除」が出来るわけです。
そうやって聴いてたら何度目かに、
すんごい明確に自分のチャクラの場所と、
それらが渦を巻いている状態とかが見えたときがあって、
そのときの私のチャクラはほんと回転数も早すぎで
オーバーワークな感じになってて、
そのバランスを元に戻すためにドリーン女史に促されるままに呼吸をそろえたり、
(普段だったら絶対言わないだろうな、と思ってしまう)「I trust.〜〜」みたいなことを一緒に言ったりしてました(笑)
なんというか明確にキリスト教の世界観なので、
そこが苦手な人には敷居が高いと思うけど、
これ流してると部屋の気のクリーニングにもなるので、今や重宝してます^^
(私は英語版使ってるので、
日本語版がどんなCDかはちょいとわかんないですが・・・)
あとは何故か、
MISIAですっ!!!
Stevie WonderもJohn LennonもCeltic Womanも聴けなかったのに(Enyaは試してない)、
MISIAは大丈夫だったのよー。
これってなにげにスゴイことじゃないですか??
(新たなPR文句には・・・なんないか(;´Д`))
しかも、
アルバムのタイトルが「アセンション」ですよ!?
邦訳だと「次元上昇」??・・・・意味深ですよね。
なんといいますか、
これって、
おもいっきりスピリチュアル業界用語だと思うんですが、
そんなのマスのど真ん中に問いかけていいのRhythmediaさん!みたいなさ(笑)
業界すげかえてみるならば、
ゲーム業界で言うところの
「バンプマッピング」みたいなさ(違います)、
デザイン業界でいうところの
「グラデーションメッシュ」みたいなさ(違いますってば)、
映像業界で言うところの
「それちょっとノンリニアで!」(もはや言いたいだけジャン(笑))
ぐらい、
マニアックなワードだと思うんですが、
これがHMVやタワレコのベストセラー棚に鎮座ましましてるかと思うと
不思議な気分になります。
そして彼女の歌声は、
祈りにとても近い・・・。
そんなことを感じながら、
変容weekendをサポートしてもらいました・・・・ありがとう。
もし、機会があったら、
歌詞カードも一緒に聴いてみてください。
1曲目の「Color of Life」から、
(実はこの曲をラジオで初めて聴いたときにうかつにも涙ぐんでしまい、何かがあるのかもしれない!?と密かにアルバムリリースを待ってたのでした)
「misiaって、ワカッテル、のね!?」
と、
思いたくもなります。
この曲の中でフランス語でポエトリーリーディングが入ってるのですが、
それの訳を記して、
今日の更新のおまとめ、としますっ
The color of life...
サイショに見たもの
それは白い光
そして誰かの明るい笑顔
サイショに聞いたのは
私の声
大きな声で泣いたから
赤と青の布に包まれて 私は眠った
影の色を知ったのはいつ
夕日の色を知ったのはいつ
朝日を見たのはいつ
「生きていること」知ったのはいつ
積み重ねていった時間たち
私はたくさんの色を持っている
最後に見るもの
それは白い光?
それとも黒い闇?
最後に聞きたいのは
あなたの声
薄れいく記憶でも きっと分かる
赤と青の音に包まれて 私は歌った
戦いが始まったのは いつ
許すことを覚えたのは いつ
愛することを知ったのは いつ
その手を握れるのは いつ
積み重ねていった時間たち
あなたはたくさんの色を持っている
「misia、ひょっとして、あなどれない?」と
思ってくださったそんなアナタ!^^
清きクリックを!⇒
私だってミラクル普通人(´▽`)ですよー由巫子ちゃん(違うかな・・?)
ちなみにオーラは、
私も見えたり見えなかったりです。
人のより、植物とか石のほうがわかりやすいです。
芽吹きのときの木々は、
はんなりとピンクのオーラなのが可愛いよ
チャクラの場所と状態も、
今お話し中の変容の最中に、初めて、具体的に知覚しました。
>こんなに不思議な事がドドッと押し寄せてきているのに
>巫音子さんの日記には「恐い」という気持ちが微塵も
>感じられませんね。
>皆に「恐れ」や「諦め」をとっぱらえ、と言ってるの実践
>してるのか。
うーん、「恐れ」や「諦め」は、
今は、もう、確かにあんまり無い、です(´-`)。
ちっちゃいときから、霊体験は結構あったので、
「諦め」に関してはだから、
「(私が変じゃなくて)みんなも見えてるだろう。」
って思ってたから、
最初から感覚として無いのですね。
(うち母親も霊感強いから、
一緒に霊とか見てたんでなおさら当然だと思ってました)
「恐れ」に関しても、そのときに
「ネガティブな霊的存在への対処方法」ってのを
学んだというか、
知らないうちに身についたというか、
そういうバックグラウンドがあるから、
無いのかもしれません。
見えない存在はね・・・もちろん、最初は怖かったよーーー!!( TДT)
だって
毎晩1時になったら子ども部屋のドアを誰かがノックしに来たり、
ポルターガイストっての? 天井の上をよく知らない誰かが走り回ってたし(笑)
部屋に張ってるポスターの裾が風も無いのに揺れたり、
いちばんショックだったのは、
小6だったかな?きつい金縛りにあって、
上体にのしかかられたり首絞められてるのを
リアルに感じて、めちゃめちゃ怖くて、
何とか脱出できたものの、
朝起きたら鎖骨の下に
指のあとが左右4本ずつあざになって残ってた、
ってのとかね・・・。ぞっとするでしょ?(;´Д`)
(今はもうそんなのに会わない、って
決めてるから平気だけどね)
思春期の頃は、オーラも魂も不安定になりがちで、
そのズレからいろいろなものを引き寄せる、
ということを、
大人になって何かの本で読んで、納得したけれど、
そういう怖い体験をしているうちに、
「ネガティブな霊的存在は、
自分が光り輝いている限りは
向こうから近寄ることはできない」
「私は霊能者ではないので、
さまよっている霊を見かけても、
“あなたと私は関係ないからお手伝いできない”と
ハッキリ言えば、それ以上何も起こることは無い。」
この2点が自分のなかで確立されてきまして^^;
そのうち、
光り輝くポジティブな霊的存在にしか私はコネクトしない、
と決めちゃったんですねー。
願い事も目標設定だってそうだけど、
決めると、そのとおりになるもんですよ。
のんきなだけかもしれないけど(;´Д`)
私はいつもそう思ってます。
そして、
この気持ちを支えているのは、
「自分は自分の直感を信じている。」
という強い信念なんですが、
ここにいたるまでは、
もちろん幾度もの出来事やきっかけの積み重ねがあったわけで、
振り返るに「スピリチュアル・ジャーニー」って感じだったのかもなぁ、っちゅう経緯が、あるのです。
この涅槃ブログではそこらへんも、
おいおいひも解かれていくだろうなー、と、
思ってます。(お楽しみに!?)
あとはね、
ちっちゃいときの日課として、
誰に教えてもらったわけでもないんだけど
夜、おふとんにはいったら
「しゅごしんさま」と呼んでいる存在に
いろいろお祈りしたり、
その日一日楽しかったことを感謝したり、
自分について反省したりってのを
心で唱えてから寝る子でした。
今思うとちょっとあやしいよねー(^^;(笑)
(そんなのしばらく忘れてて、
数年前に思い出してから今、
復活させてるんですけどね^^)
私にとって、今出会っている天使たちというのは、
どういう種類の高次元の存在なのか、
単純に妄想かもしれないってもちろん思う瞬間もあるし、
自分でも完全に理解しているとは思えないですが、
結局は「しゅごしんさま」の延長上の方々なんだろうなー、と、
今のところはそう考えてます。
ミカエルに「無意味だ。」って言われたのは、
自分が、
ちっちゃいときには「しゅごしんさま」の姿かたちなんか
これっぽっちも気にしたことなんてなかったので、
なんかね、言外に
「そのときの気持ちを思い出せ!」
って言われたような感じで、
言われた私はちょっとくすぐったくなって
アハハハーって笑っちゃってたのですね。
やっぱりそこを突っ込んできましたかぁーー、みたいな(笑)
どうしても常々、物質的なことに振り回されるし、
見た目だけで判断してその奥まで到達しないこと、
多々あるじゃないですか・・・・。
そん時には一歩立ち止まって、
心の目をしっかり使えよー、
って言われた気がしたのですね。
だから、由巫子ちゃんの言うことにもうなずけるし、
私自身も、
何かを制作するとき、
「クリエイション、またはデザインするということは、
個々の想いや祈りor胸に抱く光を地上において具現化することである。」
と思っているので、
ミカエルも、
そこんとこには特に意義はないんじゃなかろうか。
なーんて、
思っております(*^o^*)
・・・・いやーーーーん!(><)!。
ちょっと今日、
マジメトークぢゃない??巫音子ったら(←別にソコで勝負するブログじゃないですが・笑)
なんかですね、
セラフィムのこと、
今日は書くなといわれているようで、
私自身はじらしプレイをしてるつもりじゃないのですが、
も少し待ってくださいね。(;´Д`)
セラフィム的には、
春分の日に話題になるのがいいみたいなのよさ(笑)
天使も人間に負けじとわがままちゃんでございます^^;
・・・で、
おまけ、というわけではないですが、
「情報シャットダウン」のときに、
私を救ってくれた2枚のCDがあるので、
それを最後にオススメしておきます。
その週末は、情報を取り込もうとすると、
カラダがほんとにきつくなってきちゃう状態だったわけですが、
でもですね、
脳みそが活発に動いてるのが基本的に好きな性分としては、
何も考えない、ということは(ある種の瞑想ですね)
ぶっちゃけ苦行、でした・・・。
そのときにたまたまステレオのそばに置きっぱなしにしてあった、
ドリーン・バーチュー「チャクラ・クリアリング」と、
MISIA「アセンション」この2枚だけが、
聴いても「情報オーバーフロー」にならず、むしろ、
聴いているあいだはお水を飲めたり、
PCでちょこっとメール書けたり、出来たのですね。。。。
「チャクラ・クリアリング」のほうは、
天使業界(そんなのあるのか?(笑))ではめちゃめちゃ有名な
ドリーン女史のものなので、
そりゃあまあ、当然かな?と思うのですが、
これを聴くと、まさに「チャクラのお掃除」が出来るわけです。
そうやって聴いてたら何度目かに、
すんごい明確に自分のチャクラの場所と、
それらが渦を巻いている状態とかが見えたときがあって、
そのときの私のチャクラはほんと回転数も早すぎで
オーバーワークな感じになってて、
そのバランスを元に戻すためにドリーン女史に促されるままに呼吸をそろえたり、
(普段だったら絶対言わないだろうな、と思ってしまう)「I trust.〜〜」みたいなことを一緒に言ったりしてました(笑)
なんというか明確にキリスト教の世界観なので、
そこが苦手な人には敷居が高いと思うけど、
これ流してると部屋の気のクリーニングにもなるので、今や重宝してます^^
(私は英語版使ってるので、
日本語版がどんなCDかはちょいとわかんないですが・・・)
あとは何故か、
MISIAですっ!!!
Stevie WonderもJohn LennonもCeltic Womanも聴けなかったのに(Enyaは試してない)、
MISIAは大丈夫だったのよー。
これってなにげにスゴイことじゃないですか??
(新たなPR文句には・・・なんないか(;´Д`))
しかも、
アルバムのタイトルが「アセンション」ですよ!?
邦訳だと「次元上昇」??・・・・意味深ですよね。
なんといいますか、
これって、
おもいっきりスピリチュアル業界用語だと思うんですが、
そんなのマスのど真ん中に問いかけていいのRhythmediaさん!みたいなさ(笑)
業界すげかえてみるならば、
ゲーム業界で言うところの
「バンプマッピング」みたいなさ(違います)、
デザイン業界でいうところの
「グラデーションメッシュ」みたいなさ(違いますってば)、
映像業界で言うところの
「それちょっとノンリニアで!」(もはや言いたいだけジャン(笑))
ぐらい、
マニアックなワードだと思うんですが、
これがHMVやタワレコのベストセラー棚に鎮座ましましてるかと思うと
不思議な気分になります。
そして彼女の歌声は、
祈りにとても近い・・・。
そんなことを感じながら、
変容weekendをサポートしてもらいました・・・・ありがとう。
もし、機会があったら、
歌詞カードも一緒に聴いてみてください。
1曲目の「Color of Life」から、
(実はこの曲をラジオで初めて聴いたときにうかつにも涙ぐんでしまい、何かがあるのかもしれない!?と密かにアルバムリリースを待ってたのでした)
「misiaって、ワカッテル、のね!?」
と、
思いたくもなります。
この曲の中でフランス語でポエトリーリーディングが入ってるのですが、
それの訳を記して、
今日の更新のおまとめ、としますっ
The color of life...
サイショに見たもの
それは白い光
そして誰かの明るい笑顔
サイショに聞いたのは
私の声
大きな声で泣いたから
赤と青の布に包まれて 私は眠った
影の色を知ったのはいつ
夕日の色を知ったのはいつ
朝日を見たのはいつ
「生きていること」知ったのはいつ
積み重ねていった時間たち
私はたくさんの色を持っている
最後に見るもの
それは白い光?
それとも黒い闇?
最後に聞きたいのは
あなたの声
薄れいく記憶でも きっと分かる
赤と青の音に包まれて 私は歌った
戦いが始まったのは いつ
許すことを覚えたのは いつ
愛することを知ったのは いつ
その手を握れるのは いつ
積み重ねていった時間たち
あなたはたくさんの色を持っている
「misia、ひょっとして、あなどれない?」と
思ってくださったそんなアナタ!^^
清きクリックを!⇒