2008年07月

2008年07月31日

足をめぐる冒険<中休み>

巫音子です。
今回、飛躍的にアクセス数がのびたりして、
いつも以上に多くの人が読んでくださったこと、
とても嬉しく思っています。
コメントもたくさん、ありがとうございます!
追って必ずレスさせていただきますね。


そして、
ちょっと<中休み>として、
今回お伝えしたかったこと。
それは、

前回のブログを読んでくださった方が
心動いたり、涙されたとしたならば、
それは、
皆さんの魂に刻まれている、
ご自分の「戦争」の記憶が、揺さぶられたからです。

もしくは、
あなたのその行動を通して、
あなたの周りにいる多くの光の存在も、ブログを読み、
その方々の記憶が、揺さぶられたからです。
(もちろん、その記憶は第二次大戦に限りません。
 残念ながら多くの魂が、
 さまざまな戦いの歴史をもっています。
 ただ、
 わりと多くの人が、この時期、
 第二次大戦のことをやり直すために生まれなおしている、
 とも、いわれています。)



そのことをどうか、よろこんで、
みずから、みずからの魂をハグして、
祝福してあげてください。
さらに涙が流れたとしたら、
どうかそのまま、存分に泣いて、浄化してください。

戦争というのには、本当にいろんな側面があり、
私も、最初は全面的に、100%、「戦いは、悪だ!」と
思っていたのですが、
そこには神様の思惑だって介在している、ということに
うすうす気づきだしたため、
そんな簡単な言葉では片付けられない
「光にとっても闇にとっても共通の試練」であるということを、
よく、考えるようになりました。
それについて、明確な一つの答えというかたちでの結論は、
自分の中にはまだ、ありません。



ただ、
一つだけ言えることは、
私たちは、「戦争」を、
体験せざるを得なかったとしても、

絶対に、乗り越えられるんです。

それは、多くの兵士が戦場のさなかに、
ちゃんと、「愛」に立ち戻れたように。
そうやって、自らの魂に磨きをかけることができる、
そこだけは、今までも、これからだって、

完璧に、「自分だけの自由意志」に任せられてるんです。

どう受け入れようが自分次第なんです。
100%の希望がもし、地球に存在するとするならば、
私は、そこに賭けよう、と、思っています。

みなさんの涙や、熱い思いは、
「どこか古い昔に凝り固まってしまった、もう古くなった執着」や、
「今は古ぼけてしまった“念”」を、
太陽光が氷を溶かすようにして、
やさしく、でも力強く、光へと戻していくのです。



どうか、そのパワーを、その底知れない可能性を、
信じてください。
私は、今回、自分の過去世をありのままにブログにすることで、
最初のちっこいキッカケになれれば、と、思って、
ヨシダさんの無念を昇華するためにも、
書いていました。
みなさんのコメントを読ませていただいて、
私の想像を超える、はるかに深い部分でまで
感じていただけていることに対して、
上からのヨシダさんのサポートも、感じています。


・・・そしてまた。
それは必ず、
今もまだ、さまよえる多くの魂たちにも、
「成仏するきっかけ」を、届けます。
(ココも、ほんとはもっと声を大にして言いたいくらいなのだ。だから私は<4>を、何度か音読しています。見えない魂たちが、聞き耳を立ててくれるからね。)


いつも、本当に、ありがとうございます。
引き続き、続けますね。

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由巫子ちゃんも、ちゃんと元気にしてますよ〜〜ん



2008年07月25日

足をめぐる冒険<4>

巫音子です。クリックほんとうにありがとうです!
地震にあわれた方々が、すこやかでありますように、
最初にお祈りを届けたいです。


そしてそして。
「足」の、
続きのお話です。


(最初から読まれる方は
 <1>
 <2>
 <3>とつづけて、どうぞ


オラクルさんにお会いしたのは、2006年の冬。
「これまでの自分を変えていきたいんだ!!」という決意をして、石の勉強も始めていたし、もうとにかくあらゆる手段を使ってでも自分をより理解して、本来の魂の目的を見つけるんだ、、と、
がんばっている頃でした。

その日は朝に、ひょいっと思いついて、
「インナーチャイルド癒しワーク」というのを
起きがけにやっていました。
涅槃でご紹介した「ハートのハグ」です。
枕を子供のころの自分に見立てて、
やさしーく抱いて「いいこ、いいこ」する、
大人になった今の自分が、これまでのあらゆることを
「許してあげる」というのをその頃、
重点的にやっていたのですネ。


そしたらその日はどうも具合が悪くて、
風邪でもひいたみたいに頭ぼーっとするし、
なんか立ってるのがツライ・・・と思いながら
オラクルさんのセッションを受けました。
それ自体はとても楽しくて、
運気を上げるための部屋の模様替えのことから、
何歳の頃のこういう気分を手放すともっと自分が軽くなる、
とかとか、
気づきもいっぱいで有意義だったんです。
で、まだ仕事が残ってたんで、
セッション後、会社に戻ったんですが、
体調不良は加速する一方で、
なんとか仕事をこなして、帰宅しました。
帰った途端、ベッドに直行、バタンキューです。
そしたら、両目から涙がぼろぼろこぼれて止まらなくなりました。

(悲しいのか?何か・・つらいのか?
 何で私は、泣いてるんだ?)

理由が全然わからないのです。
仕事は順調だし、
ワーカホリックだった昔みたいに、
疲れ果てているわけでもないのに。

(こういうときは、
 私のカラダが泣きたがってるんだから、
 きっと、流れに任せると、いいんだ。

そう思って、ベッドにぺちゃんこになって、
さめざめと泣き続けたんですね。
そしたら、昨日一緒に寝たクリスタルをどうしても握り締めたくなったので(どの石がどういう影響があるのか調べるために、当時、いろんな石を握って寝たりとか、していました)、
「うえーーん。わがクリスタルよ、助けて〜
と思って、両手で必死に握りました。


すると、
彼ら(って水晶は1個だったけどそう呼ぶほうがその時はしっくりときた)からメッセージが届きました。

「あなたのことは、よく知っている。
 また、会えて、本当に、嬉しい。」



今までブログでも「石と話してる」なんてこと、書いてますが、
石からハッキリと話しかけられたと感じたのは、
実は、この時が初めてです。
その石は、チャネリングクリスタルという形をしているのですが、そのせいかどうか分からないのだけど、まず、彼らは私を、今の私がまだ生まれて数か月の頃に、連れていきました。
そこで私は、母とのある関係に関する大きなレットゴー(手放し)をしたのだけど、それはまた長くなるので、別の機会に書きますね。ただ、それは、ヨシダさんの過去世につながるというヒントをヒプノの時にもらっていたので、

(もしかしたら・・・)

と、思っていたら、
やはり、今回の着地点は、
赤ちゃん時代ではありませんでした。
私のインナーチャイルドは、今、癒さねばならないインナーチャイルドは、現世の私ではなく、前世の私だと言っているようでした。
前世の私=ヨシダさんが、今の私の身体にぎゅっとしがみついているのを感じました。ある人にちょうどそのころ言われた、「身内のおじいさんが憑依している」って、憑依なんて電車乗っただけで簡単にくっついたり勝手に離れたりするもんだから、大して気にしていなかったんですが、もし乗っかってるとしたら、今の血族ではなくて、きっと、ヨシダさんのことだ。その時の私はそう感じました。

ビジョンとしてよく見ていた、木の下の白骨死体の、
白骨はまだまだ頑丈で、
朽ちていく気配が・・・全くない。



その時に、ヒプノの時にはちゃんとわからなかったこと、
なぜ、ヨシダさんが成仏できずにその場にとどまり続けていたのか、
そこに、すごい勢いで焦点が定まったのです。わかったのです。
まるで、クリスタルの面の屈折で太陽光を一点に集めるように、私の意識がそこへグイグイ引き寄せられていきます。
私は、すごい勢いで、
いろんなことを思い出しました。
(霊が、成仏できない理由の大きなものには、
 “現世に対する執着や、思い残したことがある、
 死んだことに気づいていない、
 何らかの強い気持ちにがんじがらめになっている”
 といったことが挙げられます)




ヨシダさんだった時の私は、今と違い、厭世的で、基本的には日本語(=物語)の世界に自分がいれたらそれで幸せだし、あとは教師という仕事を全うできれば十分だ、と思って生きていました。
日本語は大好き、狂信的に愛している。だけど、その優美な世界と大日本帝国が今やっていることがどうしても相容れなくて、
簡単に言うと、「醒めきっていた」のです。
そんな態度を見せると小さな田舎で生きていけないから、外に表現することはなかったけど、戦争に、今の人間関係に、絶望していました。「やんごとなき」古き時代こそが日本の最盛期だ、なんて思って生きていました。

そんなヨシダさんが、戦場に駆り出されました。
そこは彼の想像を絶する世界です。
大戦後半の軍事訓練なんて最悪で、ろくすっぽ訓練も受ける時間もないまま、こんなんでほんとに人撃ち殺せるんだっけ、なレベルで、ぞくぞくと戦地に送られていきます。“国のために死ね、それこそが人間たるものの生きざまである”と教えられて、行くわけです。ほんの10日前は赤の他人だった人たちと、いきなり命綱一本でくくりつけられるようにして、死にに行くのです。彼は内心、完璧に絶望していました。
どうなってもいい。
誰が死のうが、俺が死のうが、知ったこっちゃない。
そう、思いつめて、戦地に連れられていったのです。




・・・それなのに。




戦場、最前線で、彼が放り込まれた場所は、
彼の想像していた
「地獄」
ではありませんでした。
そこは、変な言い方だけど、

「愛」

で、
満ちあふれていました。


私より一つ上なだけの「年上」の人が、
「お前は若いんだから、未来の日本のために、生きろ!」
と叫んで、私をかばって爆撃にあって死にました。
膝下がぶっ飛んだ見知らぬ兵士をおぶって歩いていたら、
その人は「一緒にいるとお前が隊から遅れるから、やめてくれ。俺をここに残して先に進め!」と、叫びます。
それだとあんたが死んでしまう、いやだ、と、おぶって歩き続けたら、
その人は舌を噛みきって、私の背中で自害しました。
国のために戦え、そして果敢に死ね、と
ひたすら教えられてやってきたのに、
究極の場所で彼らが交わす言葉は、
「みんな殺してやる!」でも、
「いくらでも戦ってやる!」でもありませんでした。



「お前は、生きろ。」
「お前だけは、死ぬな!」



でした。
こんな戦争さえなければ赤の他人な人たちが、「愛」と「生への賛美」ゆえに、見知らぬ私へと命のバトンを託していきました。それは、私が愛でてきた書物のどれにも書き尽くされることのなかった、強烈な、「人間であることの根源的な、何か」でした。

私、ヨシダさんは、部隊を飛び出して逃げ回りました。
ヨシダさんは激しく混乱していました。
人を殺すことも、誰かを助けることも、自分が生きることも、どれが答えなのかわからなくなっていました。
そして彼はそのまま正気を失い、結局は、餓死しました。
今の私は、それらの情景を思い出すことでやっと、
ヨシダさんの混乱を、理解したのです。


彼は、あまりにもたくさんのものを見てしまい、
その愛のために成仏できずに苦しめられていました。
戦争での悲劇は、
“人が一番最後に口にする言葉はひたすらにYESである”と、
もっともむごたらしい状況で、
みせつけられることです。

幸いにも、今の私は、そこを明文化できます。
そうやって、みんな、
最後に“YES”を選んで、死んでいく。
だから人というのは、愛に満ちた存在なんだ。

(でも別にこんな悲惨な方法で理解しなくったって他のやり方があるじゃないか!)


怒りと悲しみとがぐちゃぐちゃになって、涙がどんどんとあふれてきました。でも、この涙をただ、今の自分のやり切れなさのために使っちゃえば、それこそまた、負けだ。私の中で、何か大きな力が、私をその場に踏みとどまらせようとします。

(この涙は浄化の涙だ。だから、浄化に、
 “成仏”に使わなければ・・・。チャンスは今しかない!)

私は、言葉に出して言いました。

「もう、戦争は終わりました!!
 あなたの生きていた、戦争は、
 とっくの昔に終わったんです、ヨシダさん。」

どうかまっすぐに彼の元へ届きますように、と、
祈りを込めて何度も繰り返しました。

「第二次世界大戦は、もう随分と前に終わりました。日本は、完璧に平和とはいえないかもしれないけれど、あなたが見てきたような戦時中ではありません。もう、終わったんです、ヨシダさん。だから、次に、行きましょう。」

私はまた、ヨシダさんの死んだ木のふもとにいました。しゃれこうべのそばに、ヨシダさんがふわふわ立っているのを感じます。彼は、軽く振り返ったようでしたが、その背中はものすごく頑なでした。
・・・可哀そうに・・・。

「あなたが大好きだった子ども達が、またどんどん新しく生まれていっています。ヨシダさんの光を、そっちに早く使いましょうよ。私も今、そうやって生きていこうと思っているんです。そこにずっといたからって、子ども達に美しい日本語を教えること、出来ないじゃないですか。」

言いながら、守護霊に祈りを伝えます。
彼を天に導くようにガイドしてください。今、なんとかしなければ!迷えるたましいをお救いください。
何度も何度も言葉を繰り返しました。かたくなになってしまうほどの彼の時の長さも思いながらも、もう、わかってくれると、それを強く信じながら、言葉を繰り返しました。この私の声が隣の部屋に聞こえてたら気味が悪いかもしれない、という考えがよぎったけれど、私の水晶たちがシールドを作ってくれているだろう、とっさにそう思い直します。
とにかく、ヨシダさんに届く声で伝えなければいけなかったから。


そして私は、
天上に光の空洞が開かれることをイメージし、
見えない守護霊たちの多数の手が、
助けてくれていることを信じました。
ヨシダさんがやっと、はっきり振り向いてくれた気がしたので、
集中できる限りの意識を込めて呼びかけました。

「次に行きましょう! 上から、私を守ってください。」




・・・見慣れた、木の下に横たわるしゃれこうべの映像。
そのしゃれこうべが、今、やっと、
さらさらとした砂になって、
形をなくしていくのが見えました。
あれほどかたくなだったヨシダさんだったけど、その木の下にはもう、ぺちゃんこになった軍服しか見えなくなりました。
・・・やっと。やっとです。
すると不思議な事に、そこにあったしゃれこうべの姿を思い浮かべようとしても、もう、ちゃんと、思い出せないのです。

(終わった・・・・。

泣きつかれた身体の重さを感じながらも、
これで大丈夫だ、と思いました。
オラクルさんありがとう、クリスタルたちありがとう、ヨシダさん、おつかれさま。そしてお母さん、ありがとう。
さあ、私も次に行こう。次の愛に、命をつなげよう。
そのまんま私は、意識を失うようにして眠りに引きずり込まれました。




翌朝。
あんなに泣いたのにまぶたが全く腫れず(これ不思議だった)、体調もよくて、
(昨日のはハンパなかったなー、スペクタクルだったわぁ〜〜)
なんて思いながら起き上って、
そういや、オラクルさんが、
「本棚に、どこかでもらってきたお守りがそのまま忘れられてる。もう古いものだから、ちゃんとお宮に戻してあげてね。」
と、言ってたのを思い出しました。
でもね、本棚に、そもそもお守りなんて入れないし、そんなの絶対無いと思いますよーなんてオラクルさんに言い返してたんだけど、こんな昨日の今日だし何か気になるし、目が腫れてないから出勤まで化粧タイムも余裕あるしで、探してみたんですよ、念のため。

そしたら、

出てきたんですね〜。
本と本の間に挟まって。
買った時のであろう白い袋に入ったまま。




お守りは、
「浅草寺」のものでした。
そんなの買った記憶全然無いし、ビックリで、てか浅草なんて、遊びに行った記憶しか無いし、たぶん遊びついでに軽いノリでおみやげ気分で買ったのかなーそれぐらいしか思いつかないなー、神様ごめんなさいです、てかオラクルさんすごすぎ、とかとか、とにかく言われたとおりだったんで、その日のうちに浅草寺に郵送したのですね。

後日、オラクルさんにお会いしたとき
「お守りねー実はあったんですよ、もうビックリでねー!」
なーんて言ってたら、

「ああ、“浅草寺”ね。
 それ、
“戦争時”ってことだから。ね。」

と、ニッコリ微笑みとともに、言われたのでした。


・・・こういうのが日常的に起こったりするとさ、スピな世界の存在を、否定なんてできなくなるのよさ。わかってもらえると嬉しいですわ(^^;
てなわけで、やっぱり「納涼」な終わり方です(笑)
めざせ、スピ・トークでCO2削減!(スンマセン・笑)




でね、最後に、
アンタの「足」はどうなったのか?って、
ことなんですが。

残念!!!!!
続くのです。
私だって当初は、「これで充分だろー。」て思ってました。でも、甘かった。
今生で私、いろんなコトの整理する気マンマンなようでね〜。
マイ魂、おそるべしですっ。


続きます。



長文・最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
最後に「読み切ったぜ」クリック、ポチポチッてくれると、
また勇気が出ます
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生きるってことはねー、日々いろいろあったとしても、もうそれだけで、とてつもなく素敵なことなんだなー、って、
少しでも思っていただけたら、本望です。
いつも、ほんとうに、ありがとうございます



2008年07月21日

足をめぐる冒険<3>

巫音子です。そして、続き

(最初から読まれる方は
 <1>
 <2>
 からどうぞ



ヒプノ体験からずいぶん経っても、
相変わらず足はよくつってました。
で、涅槃ブログ開始当初によく登場していた身体調律師のUさん
(そういえば、大天使と遭遇しまくりで大変だった時も、ありましたねぇ(><))
にも、
足を重点的に診ていただいたりしていたんですね。
調律(体のバランスを、ミリ単位で調整する)していただいているときにも、不思議なことはいろいろ起こったんですが、・・・いろいろ起こりすぎて全部、覚えきれていない! ううう、残念ですが。
今思い返してみて印象的なのは、
ある日の調律では、両足の感覚がどうもおかしくて、
なんというか、

「今の私の足、自分のモノでは無い。
 これ、私の知らない足だ!

という感じで、
立ってられなくなって、横にならせてもらったんですね。
それでもおかしな感じは変わらず、
なんか違和感あるなー変だなーそれってUさんに伝えたほうがいいのかなーーなんて思いあぐねていたら、
普段ほとんどしゃべらないUさんが言うのです。

Uさん「巫音子さん、ちょっと変なこというようですが、
 今日の巫音子さんの足、触感が全く違います。」

私「え。ほんとですか?」

Uさん「はい・・・。何と言うか、目で見る見た目は何も変わりませんが、触っている感じが、ゴツゴツしていて、もっと太い感じで、なんというか、これは、男性の足です。

私「やっぱり・・・」

その瞬間、ヒプノの時のヨシダさんの感覚がグワッ、とよみがえってきて、軸足だった右足が疲れ果てていたこと、それを癒してほしいというメッセージを受け取ったように私は感じたので、足をマッサージしてもらいながら、ひたすらこの疲れがほどけていくようにと祈り続けました。
しばらくして、ある瞬間に、
ぱちん、
と音が鳴るような感じで、
スッパリと自分の足の感覚が戻ってきて、
「あ。」と思ったその瞬間にUさんが

「あ。今、巫音子さんの足になりました。」

と言ったので、
(むーん。二人とも同じことを感じてるのか・・・)
と驚いてみたり。



あとで話してみると、Uさんも、何となく、
今ここにある次元の足を癒している感じではなかったそうでした。

「今の巫音子さんの足を通して、
 どこかの次元のどなたかの足を癒す
 お手伝いをさせていただけたようで、ありがたいです。」

とのこと(そしてそういうことは時折あるらしいのよね。
 世の中ホント、ワケわかんないです^^;)。



でね、この後しばらくは、ほんとピッタリと、
足がつるのが止まったんです。
私は今度こそ、これで治ったんじゃないかと喜んでいました。


・・・が、

残念ながらそれは、
数か月しか続きませんでした。
つりそうになったり、実際につる頻度は随分と減ったのです。
なので、明らかに快方に向かってるのはわかったんだけど、
すべてが終わったわけではなかった。
ヨシダさんに関しても。


そしてまた、大きな出来事が起こったのは、
涅槃でも時折出てきてた、オラクルさんに初めてお会いした日の夜でした。







・・・またまた、続きます。



次は正確に正直に書くの、勇気いるニャア(^^;
なんちゅーか、とっても衝撃的な、体験だったので。(ってこれまでも充分そうかもしれませんが
最後に、毎回読んでるよ〜クリック、もらえたら、、、勇気でます!
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いつも、本当に、ありがとうございます。
愛とともに、ナマステ






2008年07月18日

足をめぐる冒険<2>

巫音子です。さっそく、前回の続き

(最初から読まれる方はココからどうぞ)


そのヒプノセラピーを通して、
断片でしかなかった記憶にたどり着くまでの道を、
思い出すとしか言いようのないリアリティで、私は見ていきました。
自分が東北地方に生まれた日本人男性で、
学校(今で言う小学校)で国語の先生をしていたこと、
日本語が好きで、
未来を担う子供たちに美しい日本語を教えられることがとても幸せだったこと、
結婚はしていたけど子供はおらず、
家庭をあまり顧みない感じで、
時間があればとにかく、日本語の世界に閉じこもりたかったこと(古典含めて本の世界に入り込むことが唯一の快楽だったみたい。そのせいかわかんないけど、今生の私も古典大得意だったんだよねー学生の頃・・・)、


徴兵されたのは戦況も末期な1942年(か3年→終戦したのは1945年8月15日です)、
夕暮れに赤く染まる下校後の教室で一人、
教壇に立って、赤紙(徴兵されたことを知らせる国からの手紙)をぼーっと見ながら、

「もう、子供たちに、
 この国の美しさの源である日本語を、
 教えることはできないのか。」


それがただただ悲しかったこと、
こんな内陸に住む40過ぎの教師にまで
海軍兵の通達が来たということは、
徴兵できる人がもう残っていないのだ、
日本は本当は窮地にたたされているに違いない、と、
直感で「死にに行くのだ。」と悟ったこと、

そんな風にたたずむ男性を、
上空から眺める感じで、
ヒプノの最中、今の私が見ていました。

ヒプノって・・・不思議ですね、
身体は寝てて夢見てる感じなのに、
どこかの意識が覚醒してて、
過去世の自分と現世の自分の、
気持ちも言葉も一緒になって意識に入ってくる感じなの。
たとえば、

その男性教師の名前は?

とヒプノセラピストに聞かれて、
「ヨシダです。あ、上の棒が短い方の漢字の、"ヨシダ"です」
なんて私自身が声に出して、答えるんだけど、
同時に、
(漢字にこだわってるなんて、さすが、国語の先生ぽいなー
なんて感心してる今の私がいるのですよ。
オモロイですよね!?



で、結局私はサイパンの近く(?)の小さな島に行き
(そこまでは漁船のふりをした小さな船に乗っていきました。
船の中で、水不足で、口の中にへばりつくカンパン(硬いビスケットみたいな非常食)が嫌だったこととかも思いだして、そんなこと今まで想像も考えたことも無いもんで、今の自分がそのリアリティに、驚いたりしました)、
人を撃つのが本当に嫌だったみたいで、
部隊をあるタイミングで脱走して、
脱走したもんだからその後は一人きりで森の中をさまよい、
そのうちに、気が狂って、
自分がなんで歩きまわっているのかもわからないまんま、餓死したようでした。
それは、1946年だと、ヒプノでは見えました。

つまり、戦争が終わった(1945年)ことを知らないまま、
私「ヨシダさん」は逃げ続けて、死んだことになります。




ヒプノで見た時には、実は、
私の過去世であるその魂は、成仏しておらず、
木の根っこに横たわって転がっているしゃれこうべの、目の間や陥没した鼻にあいた穴のあたりを、ぐるぐると飛び回って、離れられずにさまよっているようでした。
(あれれ? 私は今こうやって生きてて、
 魂も今の肉体に入ってるわけで、
 何で前の魂が成仏してないの?って思いますよね。
 このあたり説明が難しいのですが、
 分霊、といって、
 それぞれの転生ってのは私の属するおおもとの魂から
 その都度分かれて転生を経験している、と考えられるらしく、
 このような状況も、まあ、ありえるのだそうです)



その魂に、その場を離れて成仏するよう、
ヒプノセラピストさんの促しとともに、説得しようとしたのですが、
その時は振り向いてもらえず、
コミュニケーションもどれくらい深く取れたかはっきりせず、
そのうちにセッション時間もいっぱいとなって、
その経験は終わったのですね。
で、その時に、足に関して分かったのは、
「左足を負傷していたこと、
 そのため右足で踏ん張って歩き続けて、
 右足に大きな疲れを感じながら死んだこと。」
でした。



ヒプノを受けた直後は、正直頭が混乱しました。
「森のなかをさまよってる」という断片でしかなかった記憶から、
夢か、デッチアゲだとしてもよくここまで作れるもんだ、と、トンデモない妄想家なんじゃないの自分?なんて、思ったりもしたんです。
ただ、その後気になって、
戦争博物館に試しに行ってみたんですよ。
で、そこで、
(今生の)私は生れて初めて、
実物の「赤紙」を見たのですが、
それは、ヒプノで私が自分の手の中で見ていたものと、全く同じでした
また、奥の資料室に、
当時の日本兵の軍服が、2種類並んでマネキンに着せられていたのを遠目に見つけたのですね。
そこに近づきながら私は、
「ああ、私に配られたのは右の方だよ。
 サイズが大きいのしか残って無くて、苦労したんだ。」
と、そんなことをふと、思ったんですが、
近づいてみると、「右の方」が、
「第二次大戦後半」に兵士が来ていた軍服であり、
その服は、40歳以上の人も徴兵する、という政府の達しが下った近辺で、着られていたものだという説明がそこにあり、
正直、がく然としました。
さすがに、自分の妄想だけでこの「符号」は作れないだろ・・・、と。
何だか怖くなって、
早足でその部屋を離れて博物館を飛び出したのを、おぼえています。




ずいぶんあとで、ゲリー・ボーネルさんとお会いした時に、
この「ヨシダさん」は私の過去世なのか、聞いてみたんですね。
(だってねー。気になるじゃんね、答え合わせしたいよね)
そしたら、
「君の体は毒におかされていた。
 そのせいで、脳をやられたんだろう。
 そして、一人で死んだね。」

と、言われました。
(おまけに、「漢字が見える。ボクには読めないけど。」とゲリーさんが言うから、「これですか?」って、“吉田”(ブログ上で変換出ないけど、上の棒が短い吉を書いた)って書いて見せたら、「ああ、これだよ。きみの名前だ。」と言われました)
うーん、私の足、これが原因なのかなぁ?と、
当時は思ってたんですが、
足の「つり」に明確な改善は、
見られませんでした。



そして、
足をめぐる冒険はこれで全く終わらずに、
ヒプノはただの序章でしかなかったと気づくのは、
3年ぐらい経ってからでした。


続きます。
・・・なんか、夏休みだよ納涼話!みたいになってきてる?(笑)(゚∇゚ ;)



ともあれ^^;最後に、「読んでるよ」クリックを、
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いつも本当にありがとうございます。
愛とともに、ナマステ

2008年07月16日

足をめぐる冒険<1>

みなさまお元気ですか、巫音子です。
ずどん、と、暑くなりましたね。
水分補給はどうかしっかりと!
さすがにいいかげん、
のんびりな更新ペース戻したくなってきましたデス。
(由巫子ちゃんとは仕事でからんでるけど、
 お互いちょっくら忙しいナリね
関係ないけど、この涅槃ブログの昔〜ィの話たちも、今になって読み返してもオモロイね^^(なんだこの自画自賛・笑)
自分がナニ書いたか忘れちゃってるもんで、でも知らないウチに18か月も続いてた(!)ってのが新鮮でございます。
そうそう、
友人たちに、「こういう気分の時にココを読め!インデックス」を作ってくれーと言われてるので、夏休みあたりに一度整理できるとイイなーなんて、
思っております。



さてさて。
ここ最近、
セルフ・ジャーニー(自己の旅について書いてないので
今回はそんな話をば。


080716myfeet



私は、膝より下がウイークポイントというか、
とにかく足の指がよくつる、というのが悩みで、
特に、冷えたり、同じ姿勢でいたり、ちょっとでも疲れるとすぐつっちゃうので、夏場でもブーツを履いていないと落ち着かないのでした。
最近は流行ってることもあって、みんな夏にもガンガン履くけど、
私の場合は、

「つるのが怖くて常に足を固定していたい。
 だから、ブーツ!」

だったのですね。
夏ブーツ歴はすんごい長いよ、だから


それを何とかしたい、私だってサンダルとか華奢なハイヒールだって履きたいやい!と20代の頃から本気で思ってたのだけど、
ほんとダメだったの。
それでも無理してサンダル履いたりしたけどね、
すると帰りの電車なんか「指つり」恐怖との戦いでした。
ひどいときなんか、売り場で試しばきした途端に足がつって、15分くらい動けなくてジロジロ見られて恥ずかしい思いをしたり・・・。
でも、骨や体に異常があるわけでもなく、
他に原因も特定できなかったのです。


そんなあるとき、
仕事でご一緒したTVディレクタさんの仕事を手伝うカタチで、
「ヒプノセラピー(催眠療法)」を初めて受けることになったんですね。
それは、
結局は、その番組枠に特番が急きょ入っちゃったために、
お蔵入りになっちゃった番組企画だったんですが、
ヒプノで思い出す過去世を、
実際に残っている記録や場所などを探し出して実証できるか?みたいな内容のものでした(今やっても受けそうですな)。
幼い頃から、前世としか思えない記憶の断片をいくつか持っていたので、そこに興味を持ったディレクタさんが顔伏せでいいから出演できないか、と誘ってくださって、私も、自分の記憶がいったい何なのか知りたいから、
「是非に」と言って、お引き受けしたのですね。


・・・懐かしいなぁ。
この頃はスピ系なんて全く流行って無かったし、
由巫子ちゃんとは、某会社で同僚だったんだよね。
光陰矢の如し、って、やつです。



そして、
生まれて初めてのヒプノセラピーというのを受けました。
もう、7・8年くらい前の話です。
その時には、自分がいちばん幼い頃から持っていた記憶がいったい何なのか、を探りました。
それは、夢のなかや、
高熱を出してうなされているときには必ず出てくるのだけど、

「深い森のなかを、一人でさまよっている。
 足をひきずりながら歩いているけど、
 頬にあたる葉っぱや時々吹く風が気持ちいい。
 でも、何となく、自分は“狂っている”のだと知っている。」


という記憶でした。



誘導されるがまま、私はけっこうアッサリと、
その記憶のなかに飛び込むことができ、
より、詳細の情報を得ることができました。
私は男で、左足を引きずって歩いており、
着ているのは軍服で、
肩には無造作に銃がななめがけされていました。
服は乱れて、ズボンに入れたり入れなかったりな感じだけど、
そんなことも気にならないし、
かぶったヘルメットのベルトも外れっぱなし。
ただ、頬にあたる葉っぱや、朝露を飲み込む瞬間が、
気持ちいい。
そんなことばかり繰り返し考えていました。
その時の私は、

第二次世界大戦に参加している、東北地方出身の日本兵

だったのです。



続きます。・‥…━━━☆・‥…━━━☆



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いつもありがとうございます。心をこめて、ナマステ


2008年07月07日

NAMASTE.の美しさ

どもども!
涅槃シスターズの、出来ちゃった口内炎を白のポマンダー塗って治そうとしてるほう、巫音子です(←何げに効いてるっぽい)。
涅槃シスターズ揃って忙しいニャ。
そんなときもあるニャ。
でも、忙しいときこそ、忘れちゃいけない言葉があるニャ。
と、いうわけで今日は素敵な1フレーズのシェアリング。


ナマステ(NAMASTE)。


スマステ、ではありません(あーあ言わなくてもいいのに
インド料理ちっくな響きですが、
合掌して挨拶のように使いますね。
どういう意味かご存知でしょうか。
コトバの意味は、


あなたの内なる神に、私の内なる神が礼拝します


という意味だそうです。
とてもシンプルな挨拶の一言、なのに、
こういう深遠な祈りがこめられてるのって、
素敵だと思いませんか?


namaste


(バストアップ体操もかねてナマステ〜


なーんてネ、
最近不思議なことに、
「ナマステ」と言ってる人が私の周りに増えてきたので、書いてみました。
今週もどうか、素敵な一週間をお過ごしくださいね。
いつもご覧いただいて、本当にありがとうございます。
皆さんに、ナマステ。


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最後にお返しナマステクリック(?)も、もらえたら、
嬉しいですニャ



2008年07月03日

数字や動物もメッセージなのか

080702


ぬぉ〜〜〜、徹夜が続いてるリヤル世界。由巫子ですお久です。
m(_ _)m

聞けば、巫音子ちゃんも徹夜みたいです、このリヤル世界。

「なにか可愛らしい写真でも無いかしら?」と思って、この写真。冬頃に撮ったものなんですよ。涅槃ーーー、更新してないよ〜〜(つД`)
って、
「あ、これ可愛いじゃん♩」ってさっき、トリミングしてたこの写真みたら

「72」なんて書いてあるよ!?さっきまで7月2日だったじゃんね。。数字が追いかけて来るんだ、私には。(^^;)

偶然って無いのね

☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.


この前不思議な事あったよ。ちょっと、長旅に出たのね。家を出る前に仏壇でご先祖様達に「行ってまいります、無事に帰ってこられるまで守って下さい」ってナムナムして行ったの。
けっこーチャレンジな旅だったんだけど、なんとか帰って来て。
お家の玄関の前まで来たらね、
夜だったんだけど、なにか光ったものが飛んでるの。

おわー、オカルト!?((;゚Д゚)と思ったんだけど、妙に親しみのある「光」だったので凝視してたら、その光がポワポワと玄関の周りをずーっと飛んでる。

長い間、飛んでる光を見てたなあ。。。。

と、思ったらさ、それ、蛍だったの。
なーーーんだ。って思う?けどね、私、お家の周りで蛍なんか見たの、子供の頃以来でね。。その場所っていうのは、毎年、お盆に「迎え火」といって、ご先祖さまの一時帰宅のために家族が集う事をする場所なの。

だから、そんな記憶も相まって、「やっぱりご先祖がお家で待っててくれた、そして旅の間ずっと守ってくれてた」って思って、なんだか安心したのです。

こういう事は割と今まで何度もあったの。

去年も、家族の結婚式でハワイへ行ったんです。その時も、一週間ぶりに日本に帰って来て、自分のお家まで帰って来たらね、やっぱり夜だったんだけど
その時は、

「二匹の狸(たぬき)」がお出迎えしてくれたんだよ。。。
たぬき、だよ、たぬき。生まれて初めて見たんだよ。自宅の前でたぬき。(^^;)

ハワイから帰って来て、地元の駅まで迎えに来てくれた親戚のおじちゃんも一緒にそれを見て、「オラぁ、長年生きて来たけど、ここら辺で狸なんか見たの、初めてだぁ〜」って驚いてた。
私の家族の結婚を「おめでと」って現れたのかもしれない!?!?狸に化かされたわけじゃありませんよ〜。

そんなに「山の中」に住んでいる訳じゃないんだよー念のため。

いやー、土地や自然が見せてくれるもの、遭遇させてくれるものって、単純に「楽しい贈り物」だよね。。

てな事おもった、夜半です。もうすぐ七夕ですね。

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